【地域別】葬儀の特徴~沖縄県編
ども まことじいさんです。
葬儀の風習なんて、地元でも知っている人は少ないですよね。
じいさんは遠州地方(静岡県西部)在住ですが、元々は関東出身で遠州地方の風習に詳しくありませんでした。
母が亡くなった際に調べたところ、葬儀に関しても地方独特の風習があって驚きました。
通常、白木の位牌から本位牌への切り替えは四十九日の法要の時に行われますが、遠州地方では初盆から一周忌法要の間に行われます。
このような地方独特の風習はどの地方でも見られますが、知らない人も多く葬儀の際に慌てることもあると思いますので、まとめておこうと思います。
今回は沖縄県編です。
沖縄県は、沖縄県はもともと琉球王国として独立していたことに加え、四方を海に囲まれ、本土から離れていたため、独自の文化が今も受け継がれています。
また、沖縄では古くから自然崇拝も浸透しており、日常的に多くの神様を身近に感じているため、独自の「御願」文化が発達しているようです。
目次
御願(ウガン)
かつて、琉球王国の貴族の間だけで真言密教が信仰されており、『御願』と呼ばれる土着の民間信仰と融合することによって、他の地域には見られないしきたりが生み出されたようです。
『御願』には、自然崇拝と先祖崇拝の二つの側面があります。
『御願』とは、琉球神道以前の古神道に近い原始宗教で、現在の沖縄県のユタやノロ、ムヌチは、古代母系社会の形態をそのまま受け継いでいる女性です。
『御願』とは、文字通り祈りを捧げる事で、家の中には火を司る竃の神様「ヒヌカン」が祀られ、女性たちが『御願』を行います。
「ヒヌカン」は、人間と神様を繋ぐ存在であり、沖縄のアニミズムの象徴です。
また、お墓においても、正面右側には必ず「ヒジャイガミ」が鎮座し、『御願』を行ってから「先祖御願」を行います。
「先祖御願」は、普段は仏壇に向かって行い、お彼岸などの特別な日には、一族で門中墓をお参りする清明祭(シーミー)などで行われます。
沖縄の人のお彼岸は、神様となった先祖に、家族の健康などを祈願する日とされています。
檀家制度がない
本州では、 江戸時代に寺請け制度が導入されたことから、お葬式やお墓の設置などの葬祭儀礼については、菩提寺に依頼するのが一般的となりました。
しかし、江戸時代の頃の沖縄県は、琉球王朝として独立した存在だったため、沖縄には、そもそも檀家制度というものが存在しません。
このような背景から、今でも沖縄県では菩提寺という考え方がなく、お葬式を行う場合は、どの宗派のお寺に依頼してもよいとされています。
かりゆし
葬儀に参列する際の服装は、全国的に喪服を着ることがマナーとされていますが、沖縄県では、気候条件も他県とは異なるため、必ずしも喪服を着なければならないということはないようです。
男性は「かりゆし」と呼ばれる黒いシャツに黒いズボンを着用し、女性は七部袖のワンピースを着ることが多いようです。
沖縄県では、4月から11月までをかりゆしウェア着用推進期間とし、その期間に行われる葬儀はかりゆしウェアが着用されることが多いようです。
葬儀でかりゆしウェアを着用する場合は、略式礼服と同じ黒いズボンを合わせます。
また、沖縄県の葬儀では、合掌の際に数珠を用いる習慣が無いため、数珠は不要です。
通夜前の儀式・ヌジファ(抜き霊)
沖縄県では、人は亡くなってしばらくは、自身の死に気がつかず、魂がそのままその場所に取り残されてしまうと考えられています。
その故人の魂(マブイ)を自宅にお連れするために行われるのが、『ヌジファ』と呼ばれる「抜き霊」の儀式です。
『ヌジファ』は、故人を自宅に連れ帰る時だけでなく、遺体・遺骨の移動の度にも行われる儀式です。
沖縄県では、魂は体から離れやすく、驚いた拍子に抜けてしまう事があると信じられているため、信心深い人は驚かされることを嫌がるようです。
お通夜(ユーウキー)
沖縄県でも、通夜は故人との最期の時間を過ごす大切な儀式です。
かつては、夜を徹してお線香とろうそくの番をする「ウコール」の習慣がありましたが、現在は簡素化されています。
通夜での枕経は僧侶ではなく、家の最年長の女性、もしくはユタと呼ばれる民間巫女が「グイズ」と呼ばれる拝み言葉を唱えて『御願』を行います。
沖縄本島では、葬儀は僧侶に読経を依頼しますが、八重山諸島ではムヌチ(沖縄本島ではユタ)が祭司を行うことが多いようです。
また、沖縄県の通夜に、通夜振る舞いの習慣は無く、弔問後はすぐに帰るのが礼儀とされています。
妊婦と夫は参列しない
沖縄では、琉球王朝時代から多神教宗教である琉球神道が信仰されています。
琉球神道は神道と同じように先祖崇拝を重んじ、故人を含む祖先へ畏敬の念を抱きます。
このような考え方から、妊婦とその夫は臨終からお葬式までの一連の儀式へ立ち合うことはしないのが沖縄の風習となっているようです。
これは、赤ちゃんが故人の魂に引っ張られてしまうと信じられているからです。
また、故人と同じ干支の人や、家や墓を建設中の人は不浄に負けやすい人(サーマキスン)とされて参列しない方が良いとされています。
荼毘広告
沖縄では、地方紙などでは『荼毘広告』という訃報専用ページがあります。
訃報ページには、故人名や喪主の名前、葬儀の日時だけでなく、配偶者や子供、親戚の名前なども記載されることがあるようです。
また、地域によっては、町内会の放送で読み上げられることもあるようです。
西枕
仏教では、故人の遺体を安置する際、北枕にすることが一般的ですが、古来琉球では西枕が主流で、現在でもこの習慣が残っている所があります。
沖縄では、西は「イリ」と呼ばれ、太陽が沈む方向であり、死後の世界を象徴するとされているため、遺体をを西枕で安置しているようです。
こういった風習は、島ごとに違いがあるようで、八重山郡竹富町では東向きの家では北枕、宮古島市城辺町砂川では南枕で安置し、読経中は東枕にするという風習もあるようです。
グゾージン(白装束)
沖縄県では故人に白装束(グソージン)を3枚、5枚もしくは7枚と重ね着させ、衿元に縫い針を刺す習わしがあります。
どちらも奇数が良いとされ、針穴に黒と白の糸を通した針を左右の衿に7本ずつ刺します。
この針はあの世に着いた時に水と交換できるといわれています。
沖縄の人の死生観では、あの世もこの世も変わりはないと考えられていますが、来世(グソー)と現世(イチミ)はあべこべの世界だといわれています。
そのため、沖縄県では、服を裏返しで着る「ケーシマー着」は、死者の世界に通じるとの考えから忌み嫌われています。
枕飾りには「豚の三枚肉」
一般的な枕飾りと言えば枕団子ですが、沖縄では団子の代わりに豚の三枚肉をお供えするのが一般的です。
豚の三枚肉は栄養価の高い食べ物とされ、故人に良いものを食べてもらいたいという気持ちから豚の三枚肉をお供えするようになったようです。
豚の三枚肉の他にも、塩や味噌、饅頭などをお供えすることもあるようです。
ムヌウーイ
沖縄県の葬儀では、ご遺体に悪霊が近寄ってこないように、『ムヌウーイ』という、悪魔祓いの儀式が行われます。
『ムヌウーイ』は出棺後に行われる儀式で、輪になるように結んだススキの葉の結び目に、桑の葉をさした「サン」とよばれるものや塩水、箒が用いられます。
『ムヌウーイ』は、亡くなった方に悪いものが憑かないように、祈り言葉である「グイス」を唱えながら行います。
本州でも葬儀に参列した後は、玄関先で「お浄めの塩」をかけることが多いですが、沖縄では玄関先でボウルに入れた水で手を洗い、塩をかけ、サンで肩を叩いてお祓いをします。
前火葬
全国的には、通夜・葬儀の後で荼毘に付す「後火葬」が主流ですが、沖縄県では、葬儀前に火葬を行い遺骨で葬儀・告別式をする「前火葬」が一般的です。
さらに、夏場は通夜を行わず臨終、火葬、葬儀という流れになるようで、暑さで遺体が傷むのを防ぐために行われているようです。
沖縄県では 遺骨で葬儀を終わらせた後に、当日中に納骨まで行うのが、伝統的な流れとなります。
翌日には、「ナーチャミー」と呼ばる墓参りを行い、四十九日法要が行われるまでの間、毎週「スーコー」という法要が行われます。
お骨上げ
一般的に、お骨上げは二人一組で行うことが多いですが、沖縄県では、三人一組で遺骨を箸渡しして骨壷に納めます。
骨上げの順番は、他の地域と同様に血縁者からですが、歯を最初に拾うのが特徴的です。
洗骨(シンクチ)
洗骨は、火葬が普及する以前は、沖縄全域で行われていましたが、火葬の普及と共に減少しているようです。
洗骨が行われていた時代は、洗う前の骨は穢れているとされ、仏様のところへ行く前に骨を洗って清められていました。
琉球王朝の王室でも、一度埋葬して骨になった亡骸を再び出し、水で清めてから改めて埋葬するという手順がとられたという記録が残っています。
風葬を行ったあと、故人の親族女性が骨を洗う「洗骨」を行い、「ジーシガーミ」という骨壺に納められ、夫婦は死後に同じジーシガーミに納められていました。
棺
沖縄のお葬式の風習の一つとして、深い棺を使うという特徴があります。
沖縄では、故人を棺へ納める際に、ひざを少し立てて納める風習があり、このような状態でぴったり納められるように、棺は深さがあり、長さは短めであることが多いようです。
野辺送り
沖縄の葬儀では、引き潮に合わせて行われる「野辺送り」という儀式を行います。
葬儀場からお墓までの「グソー道」(葬送の道)を、遺族や知人が棺とともに歩く儀式で、この道を歩くことで、故人が自身の死を受け入れて、引き潮と共にあの世へ行くことができると信じられているようです。
「野辺送り」では、お酒を供え、故人が慣れ親しんだ村を通り、未練を残さないようにする「シマミシー」が行われます。
また、「グソー道」は神様へ続く道とされ、「野辺送り」を見かけた場合は、静かに見守り、通行を妨げることはタブーとされています。
亀甲墓
沖縄のお墓は、本州のお墓に比べてはるかに大きく、見た目もまったく異なります。
「破風墓」は、斜面や岩盤に掘った横穴を、石や漆喰で塞ぎ、その入り口を三角屋根の家のように装飾されたものです。
また、「亀甲墓」は墓室の屋根の形が亀甲のようなので「亀甲墓」と呼ばれていますが、実際は女性の子宮を模したものと言われています。
人は母の胎内から生まれ、死によって再び体内へ帰るという母体回帰の考え方により、お墓の入り口を参道、亀甲部分が子宮になぞらえているようです。
お墓の中は6~8畳もあり、まるで家のような大きさです。
与那国島の特徴
与那国島は、沖縄本島よりも台湾・中国大陸に近いこともあって、葬式や亀甲墓などに中国の古い民間信仰の影響がみられます。
タガラバゴ(宝箱)
与那国島では、「野辺送り」の際に、唐櫃に似た「タガラバゴ」と呼ばれる板厨子に遺体を納め、木の棒の上に乗せてくくり付けます。
この「タカラバゴ」は、神輿のように担がれ、念仏や供養の言葉が書かれた幟旗を持った遺族・参列者と共に島内を練り歩きます。
ムヌチ
与那国島では、『ムヌチ』と呼ばれる宗教的職能者がおり、降霊を行う女性たちと共に、葬儀を含む祭祀が執り行われています。
ムヌチはシャーマンと司祭を合わせた存在とされ、「死者を送る人」「島民の幸せを祈るオガミの人」であり、島民の日常生活に深く関わっています。
花酒
与那国島は、国内で唯一、高アルコールの蒸留酒造りが許されている地域です。
アルコール度数60度の泡盛『花酒』は、洗骨に欠かせません。
与那国島では、故人を亀甲墓に埋葬すると同時に、花酒も一緒に入れます。
そして、7年後の洗骨の際に、その内の1本を使って遺骨を洗い清め、残った『花酒』は故人を偲んで飲まれます。
その際、『花酒』を体の悪いところにかけると、故人が治してくれるとも伝えられているようです。
まとめ
沖縄県は、もともと琉球王国として独立していたことから、本州とは文化や習慣が大きく異なり、葬儀の行い方にもかなり独特の風習が残っています。
沖縄県の中でも、与那国島は台湾や中国大陸に近いため、中国の古い民間信仰の影響がみられる習慣が残されています。
なお、今回は参列される方向けに記事を書いていますが、喪主の方は事前に多くの準備が必要となります。『【通夜・葬儀】事前に準備しておくべきこと』で詳しく解説していますので、ぜひ参考にしてみてください。
もしこの記事が誰かの役に立てば幸いです。
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