【地域別】葬儀の特徴~鹿児島県編
ども まことじいさんです。
葬儀の風習なんて、地元でも知っている人は少ないですよね。
じいさんは遠州地方(静岡県西部)在住ですが、元々は関東出身で遠州地方の風習に詳しくありませんでした。
母が亡くなった際に調べたところ、葬儀に関しても地方独特の風習があって驚きました。
通常、白木の位牌から本位牌への切り替えは四十九日の法要の時に行われますが、遠州地方では初盆から一周忌法要の間に行われます。
このような地方独特の風習はどの地方でも見られますが、知らない人も多く葬儀の際に慌てることもあると思いますので、まとめておこうと思います。
今回は鹿児島県編です。
鹿児島県は、本州最南端にある県で、葬儀については西日本によく見られる風習の他、鹿児島県らしさを感じる独自の風習が見られます。
鹿児島県は、かつて行われた廃仏毀釈の影響で、仏教寺院が極端に少なく、神式の葬儀が多い地域です。
九州全域は、もともと山岳信仰などの民間信仰と仏教が混在する神仏習合の地でした。
しかし、明治時代の廃仏毀釈によって、鹿児島県内は7年間にわたって仏教寺院がない状態が続きました。
そのため、仏式で葬儀を行う場合でも、僧侶による読経の必要性を、あまり感じていない人も多いようです。
かつては、鹿児島県にも天台宗や真言宗の寺院が多くありましたが、廃仏毀釈が進められた時期に全て取り壊されました。
そして、廃仏毀釈が廃止されたのちに、浄土真宗の信徒が熱心に布教したため、現在では、鹿児島県の仏教徒の多くが浄土真宗のようです。
また、奄美群島は沖縄の文化に近いこともあり、独特な葬送習俗を持ちます。
目次
神葬祭
鹿児島県は山岳信仰からの民俗神道と修験道が盛んな地域であったため、現在でも他の地域に比べ、圧倒的に神道が強い地域で、神葬祭が多いのが特徴です。
神道の世界では、亡くなった人は神々の世界へ帰って子孫を見守ると考えられています。
こういった考えから、神葬祭は故人を子孫の家に留めて守護神になってもらうための儀式という意味合いがあります。
神葬祭の一般的な流れ
神葬祭の特徴として、統一された式次第がないことが挙げられます。
神葬祭の主な儀式は、以下のようになります。
- 帰幽奉告…神棚に故人の死を報告する儀式です。この儀式の後で神棚を封じます
- 枕直しの儀…遺体を北枕にして部屋に安置し、白い布で顔を覆って屏風を立て、枕元に守り刀を置きます。遺体の近くに祭壇となる小さな台を設置し、その上に米・塩・水・故人の好物を乗せます
- 納棺の儀…遺体を清めて白い装束に着替えさせ、棺の中に遺体を安置します。棺のふたを閉めた後は、その上を白い布で覆い、祭壇にお供え物をして全員で礼拝を行います。
- 通夜祭…通夜祭が始まると神職の人と雅楽を演奏する人が式場に入場し、神職が祭詞(さいし)と祭文(さいもん)を唱えます。このとき遺族を含めた参列者は、玉串(後述)を捧げて礼拝などを行います。
- 遷霊祭(せんれいさい)…これは故人の魂を遺体から抜く儀式で、これによって霊魂が身体から離れ、遺体は魂のない亡骸になると考えられています。 魂は霊璽(れいじ)という、仏教でいうところの位牌に移った状態になります。
- 葬場祭…大まかな流れは通夜祭と大体同じですが、弔電の朗読や棺への花入れ、喪主による挨拶などが行われます。
- 火葬祭…火葬場で神職が祭詞を奏上し、参列者が玉串を捧げる儀式です。火葬祭が終わったら遺体を火葬します。
- 埋葬祭…お墓に遺骨を埋葬する儀式です。かつては火葬場から遺骨をもって埋葬するお墓へ直接行きました。近年は遺骨を一度自宅へ持ち帰って50日後に行われる「五十日祭」で埋葬することが多いようです。五十日祭とは、仏教の四十九日に相当する行事です。
- 帰家祭(きかさい)と直会(なおらい)…火葬や埋葬をして自宅へ戻ったときに行うのが帰家祭です。手を塩や水で清めて、葬儀の終了を霊前に奉告することが目的です。その後は直会に移り、神職や関係者の労をねぎらうための宴を開きます。以上で葬儀はすべて終わり、この後は節目となる日や年に供養となる霊祭を行います。
神葬祭に参列する際の注意点
神道の世界では、死は悲しむべきものではないとされているため、哀悼の意を述べるのは神葬祭の場では不適切となります。
また、数珠は仏教のお葬式で使うものですので、神道のお葬式には不要です。
「成仏」「冥福」などは、仏教の考え方から生まれた言葉であり、神道の考え方にはなじまないので、「平安」という言葉を使います。
例えば、「ご冥福をお祈りいたします」を、「御霊のご平安をお祈りいたします」のように言い換えます。
また、お香典の表書きは神式独特の「玉串料」や「御玉串料」「御神饌料」「御榊料」というものが代表的ですが、「ご霊前」でも問題ありません。
ただし、蓮の花が描かれ香典袋は、仏教用ですので、使用できません。
念仏講
鹿児島県では、かつて廃仏毀釈が進められ、浄土真宗が禁止されていた間も、隠れ念仏として多くの人々が信仰し続けていました。
当時は、枕経や埋葬などの大切な儀式の際には、『念仏講』が僧侶に代わって念仏を唱えていたこともあるようです。
そのため鹿児島県には、現在でも『念仏講』が多くの自治会の中にあり、葬儀の際は念仏を唱えに訪れることもあるようです。
じつの飯
一般的に、故人の枕元には一膳飯と枕団子を供えますが、鹿児島県では、この一膳飯のことを『じつの飯』と呼んでいます。
「じつ」は「直」と書き、他界した直後に炊く飯を備えることから、この呼び名がついたようです。
鹿児島県の一部地域では、『じつの飯』と一緒に味噌汁を供える風習もあるようです。
通夜振る舞い
西日本では、『通夜振る舞い』は遺族や親族のみで行うことが多いですが、鹿児島県では一般の参列者も『通夜振る舞い』に参加することが多いようです。
『通夜振る舞い』には、魚や肉を出すことはなく、殺生を避けた精進料理を提供します。
通夜見舞い
鹿児島県では、通夜に参列する際に、香典とは別に『通夜見舞い』を持参する習慣があります。
『通夜見舞い』の風習は、西日本を中心に各地でみられ、果物やお菓子を持参することが多いようですが、鹿児島では最中を持ち寄る習慣があるそうです。
最中を持参するようになった由来は、鹿児島弁で「もう無い」を意味する「もうなか」からと言われています。
前火葬
鹿児島県では、葬儀後に火葬を行う「後火葬」が一般的ですが、奄美地方や離島の一部では、葬儀の前に火葬をする『前火葬』の風習があります。
北海道や東北などの雪深い地域では、大雪で参列者が葬儀場に到着するのが遅れた場合に、遺体を腐敗させないために『前火葬』が行われているようですが、南国の鹿児島では、暑さによる遺体の傷みを防ぐために行われているようです。
別れ飯
九州地方では、出棺の前に故人と最後の食事をする習慣がありますが、鹿児島県ではこの最後の食事のことを『別れ飯』と呼びます。
地域によっては、『別れ飯』を一般の参列者に振る舞うこともあるそうです。
また、県南地方では『別れ飯』の代わりに『別れの杯』を行う地域もあり、故人の遺体に焼酎を少し振りかけます。
茶碗割り
故人の茶碗を割るという風習は、西日本で多く見られるものですが、鹿児島県でも、『別れ飯』のあとなどに、故人の茶碗を割る風習があります。
茶碗を割ることで、「ここに戻ってきても、あなたのご飯はありませんよ」「迷うことなく、無事に成仏してください」という願いを込めた風習です。
ただし、浄土真宗の葬儀では、行われません。
出棺
鹿児島県では、現在でも自宅から故人を送り出すケースが多いようです。
その場合、玄関以外の縁側などから棺を運び出し、棺を安置していた場所は、掃き清めるという風習が残っています。
いろ
鹿児島県の一部地域では、『いろ』と呼ばれる白い布を身に着けて葬儀を行います。
故人と同じ「白」を身に着けるのは、「死出の旅の途中まで見送りますので、そこから先は一人で行ってください」という意味合いがあるようです。
鹿児島県では、出棺の際に棺を担ぐ人は、肩に白い布をかけるのが正しいマナーとされています。
地域によっては、葬儀の参列者全員が『いろ』身に付けなければいけないこともあるようです。
また、葬儀を終えて家に入る前に、『いろ』を垣根や扉の外に括り付けるのが一般的です。
三日参り
鹿児島県の一部の地域では、葬儀の後、当日中に納棺を済ますことが多いようです。
また、納骨後に菩提寺へ行って、僧侶から読経をいただくことでお葬式当日の一連の流れが終了となる地域があります。
この法事は「三日参り」と呼ばれていて、他の地域の初七日法要にあたります。
屋根付きのお墓
鹿児島県には、一般的な公営・民営の霊園墓地もありますが、昔ながらの集落墓地も各地に多く残っています。
集落墓地は、地域コミュニティ内にある共同墓地で、屋根付きのお堂の中にお墓があります。
これは、桜島の火山灰が県内の全域に届くため、火山灰から守るために屋根がつけられたといわれています。
また、鹿児島の人はお墓にお金をかける傾向が強く、墓石は大きく豪華な造りのものが好まれています。
家の沽券に関わるとして、お墓の手入れとお墓参りは頻繁に行われているようで、鹿児島県は、切り花の消費量が全国一位となっています。
離島における独特の葬祭儀礼
種子島
種子島は、鹿児島南部と文化風習を共有しており、49個の枕団子など、仏教の慣習を葬儀に見られる地域もあります。
種子島では、明治時代に禁止されるまで、 土葬が行われており、沖縄と同じく風葬と洗骨が主流でしたが、現在は火葬が中心で、島内に火葬場も設置されています。
奄美大島
奄美大島の大島郡笠利町には、風葬と洗骨のための横穴式の墓が集まる「城間トフル墓群」が残されています。
奄美大島では、地域の祭祀を中心に、生活と価値観をともにする地域コミュニティ『シマ』が基盤となっています。
葬儀の際は、『シマ』をあげて手伝いが行われ、基本的には親戚と喪家が属するシマの人たちだけでおこないます。
奄美大島では、「自宅で亡くなった場合、すぐに家の時計を止める」 「棺に、おにぎりと小銭を一緒に入れる」 「出棺前に、火がつけられた松明を、縁側から外に投げ捨てる」など、独特の習慣が残されています。
与論島
与論島に火葬場ができたのは2003年で、それ以前は最寄りの島で火葬しての骨葬、または土葬で弔っていました。
そのため与論島では、島内に火葬場ができる以前に土葬にされた方の洗骨が、現在も行われています。
徳之島
徳の島では、『シマ』によっては出棺前に、年長の女性が揃って故人に「クヤ」と呼ばれる別れの歌を歌う風習が残されています。
「クヤ」はお悔やみを意味するものとされ、女性によって代々受け継がれており、「シマウタ」として、現在も若い世代に継承されています。
琉球文化 の影響
奄美群島には、出棺の際に、棺に茶葉を納める慣習がありますが、これは沖縄県から伝わったとされています。
茶葉を棺に入れる習慣は、古くは中国の葬儀でも見られることから、仏教とともに伝わったと考えられています。
また、沖縄県と同様に 奄美大島・喜界島・与論島なども、かつては風葬と土葬の文化を持ち、葬儀は自宅もしくは公民館で執り行われていました。
まとめ
鹿児島県の葬儀の流れは、九州地方の他県と同様ですが、浄土真宗の信者が多いため、『棺回し』などの風習は、あまり定着しなかったようです。
また、島嶼部では、九州地方の文化よりも琉球文化の影響が強く、葬儀に関する習慣も同様のようです。
なお、今回は参列される方向けに記事を書いていますが、喪主の方は事前に多くの準備が必要となります。『【通夜・葬儀】事前に準備しておくべきこと』で詳しく解説していますので、ぜひ参考にしてみてください。
もしこの記事が誰かの役に立てば幸いです。
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