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【地域別】葬儀の特徴~石川県編~

2021年3月30日

ども まことじいさんです。

葬儀の風習なんて、地元でも知っている人は少ないですよね。

ども まことじいさんです。
じいさんは遠州地方(静岡県西部)在住ですが、元々は関東出身で遠州地方の風習に詳しくありませんでした。
母が亡くなった際に調べたところ、葬儀に関しても地方独特の風習があって驚きました。
通常、白木の位牌から本位牌への切り替えは四十九日の法要の時に行われますが、遠州地方では初盆から一周忌法要の間に行われます。

このような地方独特の風習はどの地方でも見られますが、知らない人も多く葬儀の際に慌てることもあると思いますので、まとめておこうと思います。今回は石川県編です。

石川県は古くから発展していた地域柄、伝統的な風習を今もみることができます。また、浄土真宗の家が多いため、風習にも宗派ならではのものがみられます。

石川県では、近隣の住民が集まって『講』または、『講組』と呼ばれる近隣住民の相互扶助組織があり、通夜・葬儀などを手伝うことがあります。

自治会などの地域の住民が『講』として、通夜の料理の差し入れや、告別式の受付、会計などのお手伝いをし、助け合う風習があります。

また、地域の年寄り衆が、仏様の教えを和歌にした『御詠歌』を歌う場合などもあるそうです。

表書き

一般的に、通夜・葬儀の際に渡す香典の表書きは『御霊前』とされていますが、浄土真宗では『往生即成仏』の考えから、通夜・葬儀でも香典の表書きは『御仏前』となります。

石川県では浄土真宗の檀家が多いですが、その他に真言宗などの寺院も少なくないようです。

もし、他地域から石川県の葬儀に参列する際は、宗派が分からないときは『御香典』と書いておけば、どの宗派でも問題ないので、無難かもしれません。

白装束

石川県では、火葬場へ向かう際、喪主が白装束を身につけることがしきたりとされています。
お隣の富山県の呉西地域でも同様の習慣がみられます。

葬儀に白装束というのは、違和感があるかもしれませんが、日本ではもともと、喪服の色は「白」でした。
逆に、結婚式で女性が黒の留袖を着るように、「黒」はおめでたい席で着る和服の色だったのです。

黒を使用するようになったのは、明治時代に入ってからのことで、明治天皇の嫡母の葬儀に始まります。
西洋の文化が取り入れられる中で、黒を喪服とする欧米人の国賓に対して、恥ずかしくないようにという政府側の思惑で、黒い喪服を身につけ始めたとされています。

ただし、これは上流階級に限られていて、一般国民が黒い喪服を身に付けるようになったのは、第二次世界大戦以降の事です。
戦死者が増え、喪服の貸衣装屋の需要が高まる中、白い喪服では汚れが目立ち、手入れが大変だということが理由と言われています。

このため、石川県のように、白装束を身につけるという風習は、歴史の流れを踏まえると、決して奇異なものではないのです。

経帷子

一般的に仏式の葬儀では、納棺の前に、故人を納棺師や家族の手によって、手甲脚絆に頭陀袋といった旅支度の経帷子に着替えさせますが、浄土真宗の檀家が多い石川県では、死装束も少し異なるようです。

浄土真宗では、人は亡くなってすぐに成仏するという考えの為、死者は旅をすることはありません。
このことから、浄土真宗の信者は、亡くなった時も旅支度をする必要が無いので、死装束も簡易的な経帷子を着付けます。

骨壺

骨壺については、遺骨を全て骨壺に納める「全部収骨」を行う関東地方では7~8寸のものを、遺骨の一部を骨壺に納める「部分収骨」を行う関西地方では、5寸のものを使用することが多いようですが、石川県では最も小さい2寸のものを使用することが多いようです。

これは、石川県では収骨の際に二つ以上に分骨を行うことが多く、当日に納骨することも少なくないからです。

古くから寺院とのつながりが深い石川県では、二つに分骨した一方を菩提寺に納め、もう一方を家族のお墓に納める習慣があるようです。

一般的に、納骨は四十九日の法要のあと、忌が明けてから行うことが多いです。

仏教では、人は亡くなると7日ごとに、7回にわたって仏様の裁きを受ける、旅に出ると考えられていて、最後の裁きが済む49日目に、成仏すると考えられているからです。

しかし、浄土真宗では、人は亡くなってすぐに、阿弥陀如来の力によって成仏するという『往生即成仏』の考えがあるため、葬儀の時点で成仏しているので、すぐに納骨しても問題ないとされています。

骨壺については県内でも差があり、加賀地方(かほく以南)は4寸骨壷にて一部収骨が大多数を占め、能登地方(羽咋以北)は骨壷を使用せず、骨箱(桐の箱)にて全部収骨が大多数を占めます。

米ぬか

葬儀後に、玄関先で身体に塩を振りまくという、浄め塩の風習は一般的ですが、石川県の一部地域では、この浄め塩に 『米ぬか』を混ぜて使用するという慣習があります。

本来、仏教では死を穢れとして捉える考えはなく、「浄める」という考え方は神道由来のものです。

神道では、「神饌(しんせん)」という神にお供えする食べものがあり、その中に、稲穂が含まれることから、米からできる『ぬか』を混ぜるという風習が、生まれたのだと考えられています。

忌明け

一般的には、四十九日の法要ののちに、忌明けとすることが多いですが、石川県の忌明けの時期は、北陸地方の中でも独特で、全域で男性77日、女性は57日(35日)が忌明けとされています。

浄土真宗の信者にとっての四十九日の意味とは、遺族が四十九日間の中で故人のことを偲びつつ、仏様の教えについて、かみしめるための期間というもののようです。

まとめ

浄土真宗大谷派の祭壇

石川県は浄土真宗の開祖・親鸞が佐渡島に流された際に、布教して通った地であり、戦国時代は浄土真宗の本願寺の勢力圏にある土地でした。
そのため、石川県は今でも、浄土真宗を信仰する家が多い地域となっているのです。

石川県で多くみられる浄土真宗の葬儀では、他の宗派と異なり、亡くなった人は阿弥陀如来の力で、すぐに成仏するという「臨終即往生」の考えから、他宗派の葬儀とは作法が大きく異なります。

富山県の浄土真宗の葬儀に参列される方は、「よりそうお葬式」の『故人を極楽浄土へ送る。真宗大谷派の葬儀の流れとマナー』の記事が参考になると思います。

なお、今回は参列される方向けに記事を書いていますが、喪主の方は事前に多くの準備が必要となります。『【通夜・葬儀】事前に準備しておくべきこと』で詳しく解説していますので、ぜひ参考にしてみてください。

もしこの記事が誰かの役に立てば幸いです。